全日本合気道演武大会 5月24日
日本武道館
5月の第4土曜日は、日本武道館で毎年全日本合気道演武大会が行われる。これは合気会最大の行事である。今年で46回目。半世紀という時代の重さ、年々参加者も増え続ける。外国からもやってくる。この日本武道館で演武会が開催されることになった年、昭和51年、第15回大会から、わが青葉塾道場は出場している。その前の年、第14回大会が日比谷公会堂であったので、道場全員で見に行った。「いつかうちも出ような」と公会堂の入り口前の大会の看板に並んで写真を撮った。それが、何と、実現してしまったのである。私自身は、第9回(昭和46年)に出ている。ここが、あの社会党委員長・浅沼稲次郎襲撃の現場だ、と感慨を強くした記憶がある。その事件は1960年(昭和35年)のことだった、17歳の少年・山口二矢に、日比谷公会堂での演説中腹部を刺され、その傷がもとで絶命。私も、ちょうど17歳だった。その歴史的なところに今いるんだ、と壇上の畳の上でそう思った。15回大会から日本武道館でやることになったと聞いていたが、こちらは道場を作ってまだ3年目。その年、4月2日、3周年記念演武会を、青葉台小学校の体育館で開いた。そのあと本部の藤田昌武師範から連絡があり、出場が決まった。あまり時間がないが、日本中が注目しているんだ、よしっ!と意気込んだ。演武の内容は工夫して作り上げた。ま、恥ずかしくないものだった。当時は畳15枚の日本一狭い道場だった。ここでの稽古だけだった。さー、晴れて日本武道館。入場してみると、圧倒的に広かった。こんなに広いものか。畳の数も多い。私も含めて、出場者全員あわててしまった。稽古の習性は恐ろしいもので、15枚から外に出ない。畳の端のほうでもそもそやっているうち、終了の太鼓が鳴った。これではイカン、と翌年は、秋ぐらいから演武会の準備を始めた。その甲斐あって、2年目、何とかうまくいった。それを赤裸々に記録し、合気道新聞に投稿した。これは結構反響があり、青葉塾道場も知られるようになった。
青葉塾道場
http://http://www.ningenkobo.com/aikidou
本多青仁斎の武道稽古日誌
http://blogs.yahoo.co.jp/aonisai0719
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